“熊大のインディ?ジョーンズ”が挑む 過去からの挑戦状
ヒスイや貝などのお宝を発見!

山野:子どものころ「世界ふしぎ発見!」や「インディ?ジョーンズ」が大好きで、中学生になるころには、考古学者になると決めていました。でも高校に入ったら、バンド活動にハマリ、成績は急降下(笑)。そんな時、鹿児島大学の考古学の研究室を訪問させていただく機会があったんです。「土器洗い」をしたんですが、泥を落とすと、文様が浮かび上がってくるのが、めちゃくちゃ楽しかったですね。「そうだ、考古学者になるんだった。今からでも、まだ遅くない」と自分に言い聞かせて、猛勉強しました。そのうち成績が上がっていくのが楽しくなって、鹿児島大学の考古学の研究室に入りました。
◆:大学時代は研究に没頭されたそうですね?
山野:最初はそういうわけでもなかったんです。実際大学に入ってみると、自分の思い描いていた世界とのギャップに悩みましたね。1ミリ単位の誤差もなく実測したり、写真の撮り方を学んだり、数式を使って計算したり、覚えなくちゃいけないことがたくさんあって、ワクワクしないんです。そんな悶々としていたころ、鹿児島県徳之島の発掘調査に行ったことが私の転機となりました。縄文時代晩期末~弥生時代前期の石組みの墓を発掘したのですが、中からヒスイや貝製の腕輪やビーズなどが出てきたんです。私の中で、アドレナリンが出まくりました。ヒスイは、後の分析の結果、新潟県産であることがわかり、交易品と考えられます。
太古の遺物が語り掛けてくる

山野:日本の貝文化研究の権威である木下尚子先生に師事したことで、ライバル心が芽ばえ、その楽しさに目覚めました。かつて琉球列島では、イモガイやタカラガイなどさまざまな貝殻をアクセサリーや生活道具として使用していました。貝の生息域は、気候や潮の流れなどに影響を受けますから、ある特定の地域?環境でしか採れない種が多い。ですから、貝を通じて、物や人の移動、文化の伝播、当時の生活スタイルなど、いろんなことがわかるんです。
例えば、外国に似たような装飾品があれば、それらの装飾品にインスピレーションを受けて、日本で