年頭所感

新しい世紀を安らかに迎えることができ、感謝を込めて初春をお慶び申し上げます。法を立ち上げる人々、行政に携わる人々、それに法を司る人々、それぞれに感懐を込めて21世紀の新年を迎えられたことでありましょう。

顧みるまでもなく20世紀は人類にとってまさに激動の100年でありました。前半世紀では、産業革命の影響が全世界に及び国際経済は飛躍的に発展しましたが、その軋轢が遠因となった二度もの世界大戦が人々を混乱と悲惨に巻き込みました。ことに、二度目の世界大戦における武器競争は結果的に様々な新技術を生み出すとともに、瞬時にして大都会を灰燼に帰せしめる悪魔のごとき武器をも遺しました。

ジェット旅客機や原子力発電所などはいずれも戦争技術の申し子と言ってよく、前世紀後半は、人類がこれらの利器を活用して飽くことなく物質文明を追究した50年であったと言っても決して過言ではありません。こうした人類の不遜かつ独善的な営みは、わずか半世紀足らずして、復元不可能なまでに地球環境を破壊し、著しい南北格差を生みました。また、第二次世界大戦後に急速に栄えた共産主義イデオロギーに立脚した多くの社会主義の国々では、為政者への権力と富の集中と秘密警察体制が人々を苦しめ、「富の平等分配」の理想は幻想と化しました。これらの国々は相次いで瓦解し、新たな民族抗争を生んで今なお人々を苦しめています。

有史以来人類は、過誤とその克服を繰り返し、今日まで発展を遂げてきました。しかし、20世紀の100年間に凝縮された過ちは、人類の存在すら左右しかねない程甚大であると思われてなりません。21世紀はそれを克服できる100年であって欲しいと切に願うのであります。

時に、日本の大学は、国立、公立、私立を問わず、一様に危機に直面しております。古い大学でも、19世紀末葉に創設され前世紀の100年をかけて発展してきました。したがって、古い大学といえども20世紀を通じて激動に翻弄され、「100年先を見据えて人を育み、時々の社会が必要とする知恵を蓄え、社会や国家の思想形成の中核」であるべき本来の大学の姿を確立し得ず今日に至りました。熊本大学のように、戦後慌ただしく設置された大学にあっては、大学の望ましい発展とは程遠い条件が課せられ、より一層過酷な営みが強いられてきたと言えましょう。

確かに、大学は社会に開かれ、社会的要請に常に応えねばなりません。また、常に教育と研究を大切に営み、その成果を国際的に発信し得る場でなければなりません。これらのことは、先に示しましたような本来の大学である限り、間違いなく実現できると確信します。つまり、今大学人が為すべきことは一日も怠りなく大学本来の在り方を厳しく自覚し、その実現に誠心誠意努力するほかなかろうと思うのであります。

近年、若者による悲惨な犯罪が度重ねて生起しております。これらの若者達はいわゆるバブル経済の隆盛期に幼児期を過ごした人達であります。人々が空前絶後の好景気に浮かれ、人としての正しい在り方を見失いがちとなり、子供達の教育すらおろそかにされてしまったのでありましょう。程なくバブル経済が崩壊し、人々は途端の難儀に曝されると右往左往するばかりで適切に対処することができず、子供達の心をも大きく歪ませてしまったのかもしれません。

16、17歳の若者達の数多くが間もなく大学の門をくぐります。若者達に21世紀の夢を託すためにも大学教育の建て直しこそが焦眉の急務であり、大学人はこぞってそれに取り組まねばなりません。このような視点から、私は熊本大学の教養教育と専門教育を名実ともに一貫した大学教育に仕上げることを、本年の最大目標に掲げたく存じます。

幸い熊本大学にありましては、教職員一体の努力が実を結び、昨年夏に大学教育研究センター棟の半ばが大改修され、本年引き続き残余の大改修に着手できます。加えて、現今の逼迫した国家財政の下にありながら、各学部建物の再開発も予想以上に進みつつあり、設備も着々と整備されつつあります。これらは全て教職員各位の不断の努力の賜物であり感謝のほかありません。

「新しい皮袋には美酒を」とのたとえの如く、肝心なのは、改善された環境を十二分に活かすための計画とその着実な実施であります。今や、熊本大学の教職員はこぞってこの点を深く自覚され、熊本大学に学ぶ全ての若者達に夢と希望を与え得る大学教育を実践して下さると確信しております。

熊本大学の門をくぐった全ての若者達が、学生生活を通して青年らしい明るさと笑顔を取り戻し、心を豊かに培って巣立つことのできる真の学舎への再生を切に願い年頭の所感と致します。

熊本大学長 江口 吾朗



お問い合わせ
経営企画本部 秘書室
096-342-3206